〜フルール〜周防高幸の後悔64
ビスコをかじり薬を飲むのを見届けた滝本がパソコンを指して、
「私が診た患者さんのカルテに目を通しておいてください。ほとんど継続の方だったので薬は出しましたが、気になる方もいるでしょうから」
「…ありがとうございます」
素直に礼を言うと滝本は診察室を出て行った。
呼び込んだ津田さんは即刻入院治療になった。これほど数値が下がっているのに「ちょっと具合わるいかもしれないなぁ〜」くらいしか思っていなかったそうだ。
下手すると急に倒れて腎不全、肝機能障害、ということも十分考えられると説明すると、のんきな答えが返ってくる。
「じゃあちょっと家に帰って〜入院セット持ってきますねぇー」
「ダメです。すぐ入院手続きしてください。中田さん、入院棟に連絡して部屋の用意をお願いしてください」
「はい、もう連絡済みです。入れますよ」
「えー。今日巨人対阪神の中継見たかったのにー」
「はいはい。テレビ入れましょうねー」
津田さんは一人暮らし、酒好きで塩味も好き、数値の乱高下が激しく、ここ半年ほど安定していたので油断したらしい。
同じく一人暮らしで酒好きな周防にとっては他人ごとではない。
…明日は我が身。合掌。
そして問題児はもう1人。
「…ゆうさん…」
入室した瞬間から匂う酒。
「あははははいや〜やっぱだめっすかね〜」
じゃねーぞコレ…。
「近づいただけでこっちも酔いそうです」
「あははははそうなの〜今朝5時くらい?まで飲んでたのあはははは」
「…でしょうね…」
ふりっふりのアイドルぽい衣装のまま、濃い化粧の目元、なのに口紅だけが薄れてなくなっている。
「ねねね聞いて〜うふふゆうねーやっとやっとやっとナンバーワンになったのおおお」
「そ…そうですか」
「だからねっお祝いしてくれてねっちょっと飲みすぎうへへへへ」
ダメだ話にならない。
どうしようか。
検査したところでまともな数値は出ない。肝臓が弱っているからとアルコールの摂取を制限していたが、仕事柄そういうわけにもいかなかったことは理解出来る。
「うふふゆうねーお店3つ変わって〜やっとやっとやっとナンバーワンになったのおおおうれしいよおお」
「ええ…はい」
あんまりたたかないで欲しい。頭痛が…山田ゆうさん36才。男性から女性へのトランスジェント。シングルで男の子、もう高校生になるのか、を育てている。
「そういえば、みつくんは?」
ゆうさんはぽやんとした顔をして、
「みつはー…みつ。みつ?アレ?あー!弁当ー!」
バッグからスマホを取り出して「ぐがっ」というようなつぶれた声をあげる。
「…ひああああ」
ラインがものすごい数だったようだ。
「みつ、ごめん…おかーさん弁当のこと忘れてた…」
しかもまともに連絡していなかったらしい。最後は朝8時の『ラインくらい見ろやクソババァ!』だった。
「みつくんに心配かけないようにしましょう?ね?」
「うっ…う、ハイ…」
そこからは少しは正気に戻ったようで、来週の検査の予約をして、なるべく酒は控えるように釘をさした。ゆうさんが退室すると、「…換気しましょう…」と、なのさんが涙目でスイッチを入れる。
その日診察室は酒臭さがなかなかとれなかった。